フリー系PC-UNIX出現前夜

 UNIXは「SYSTEM V系かBSD系か」、または「商用UNIXかフリー系UNIXか」に分けられるわけだが、それに加えてもう1つ重要な分類方法が増えた。それは「PC-UNIXかどうか」ということだ。
 UNIXはそのマシンリソースの関係上、ワークステーションクラス以上のマシンで動くことを前提としていた。また商用UNIXはベンダーごとのマシンアーキテクチャに実装、最適化されていたため、システム価格が数百万円以上になることが一般的であった。そのためUNIXを使えるのは、企業や大学、研究所といった環境に限られ、通常は個人に手の出る代物ではなかった。
 しかしハードウェアの急激な発達により、一時期のワークステーション以上の能力を持つPCが出現したことで、「PC上で動くUNIX」が現実的なものとなってきた。とくにi386の出現と前後して「MINIX」「XENIX」(なんとマイクロソフト製!)「PC-UX」といったPC-UNIXが出現するに至る。ただしこれらのPC-UNIXの多くは、UNIXのサブセットといった内容のものが多く、UNIXのコマンドは動くものの、カーネルレベルでは必ずしもUNIXと呼べるような代物ではないものが多かった。
 しかし、それでもPC上でUNIXのコマンドやツールが動くといのは魅力的であり、当時は一般にMS-DOSでの利用が中心だったことを考えると、「もう1つのPC用OS」としてのPC-UNIXに関心を持つ人もいた。とくにアンドリュー・タネンバーム博士が教育用に作ったMINIXは、教育目的のためにソースコードを公開したというメリットと合わせてPC-UNIXの1つの勢力となっていく。しかし残念ながら、MINIXはフル機能のUNIXとは言えなかった。

フリー系PC-UNIXの登場

 このMINIXのニュースグループに、「私のやっているプロジェクト」として登場したのがLinuxである。Linuxとは、ヘルシンキ大学の学部生リーヌス・トーヴァルスが独自にフルスクラッチで書き起こしたUNIX系OSである(リーヌス・トーヴァルスが書き起こしたのはおもにカーネル部分)。
 これは1991年ごろにインターネット上のFTPサイトにアップされ、そのすべてがGPL(GNU General Public Licence)に基づいて、ソースコードを含めて公開された。これを元に世界中の利用者やプログラマーが機能追加やバグフィックスを、多くは無償で行ってきた。何しろサブセットではない完全に機能するフリーのUNIXというのは、大きな魅力だったのだ。
 最近のPC環境は、オリジナルのUNIXが開発されたPDP-7から比べると「雲泥の差」であって、やる気と実力のあるプログラマーがいればUNIXクラスのOSを開発することは決して不可能ではない。その「やる気になった」のがリーヌスであったわけで、しかもオリジナルのときと違ってすでにUNIXというお手本があり、そのアーキテクチャや実装も広く知られている。またインターネット上には、UNIXで動く数々のソフトウェアがあふれ返っているのだ。
 実は「やる気になった」のはリーヌスだけではなかった。それどころかLinuxより有利な位置からPC-UNIXの実装を行った人もいた。というのも BSDでは、「最終的にはBSDをフリーソフトウェア化する」という方針があり、実際にUCBが独自に開発した部分のソースコード公開に踏み切った。これがBNR(Berkeley Network Release)と呼ばれるソースコード集であり、とくに4.3BSD-Renoに対するBNR2(あるいはNet/2)に至ってはOS全体の85%までが公開された。
 ということは、あと残りの15%を埋めれば完全にフリーのBSDができ上がることになる。実際にその実装を行ったのがウィリアム・ジョリッツであり、これが「386BSD」として1992年に公開された。この386BSDは「FreeBSD」という、現在Linuxと双璧をなすもう1つのフリー系PC- UNIXを生み出す母体となった。

オープンソース

 PC-UNIXにはフリー系ではない商用UNIXも存在する。「Solaris(for x86)」「UnixWare」といったパッケージがそれであるが、現在PC-UNIXと言えばそのほとんどがLinuxかFreeBSDのことを指す。もちろんフリーであることがその大きな魅力となるが、同時にソースコードの公開「オープンソース」が世界中のプログラマーに受け入れられ、発展する文化的背景となった。