斬れ味

 竹田津と直子は高校を卒業した。直子は薬剤師の勉強をするために徳島の大学に進学した。

 竹田津はバス停のポストにあった「プログラマーとして東京で働きませんか」という求人広告を出した地元の会社に入社し、1週間後に横浜のソフトハウスに出向、東京の住人となっていた。

 竹田津は某電機メーカーの制御系部門のプログラマーとして働くことになった。制御系というのはプラントや設備の制御を行う分野で、プログラマーに要求される仕事の精度や完成度が極めて高い。99.9%なんて当たり前の話である。例えば原子力発電所の制御プログラムにミスがあったら、それは単なる「ミス」では済まされない。竹田津が始めたのはそんな職業プログラマーの分野だった。

 最初の仕事はアセンブラで1000ステップ規模のモノ。例えるなら、全然体操をやったことない人に「月面宙返りやってみて」というような無茶な話である。しかも文書の束を渡されて「分らないところがあったら聞いて」。これだけである。手取り足取り教えてくれる人なんてどこにもいない。
 竹田津はこの宿題を、誰の助けも借りずに1ヶ月で終わらせた。回りの見る目が変る。どんどん仕事が舞い込んでくる。この世界、仕事ができるヤツに仕事が集中する。同じ新人に大学の工学部卒のヤツらがいたがそれらを一気に飛び越えて、竹田津は回りから早々に「仕事ができるヤツ」の評価を得た。

 待遇も変った。出向先の会社が「直接うちの社員にならないか」と3ヶ月で言ってきた。竹田津も断る理由がない。ついでに普通は3年ぐらいかかる「主任」ということにもなった。稼ぎの方も残業代や出張費を入れて手取りで30万円を越えた。特に出張期間は出張費だけで食えるので、給料が丸々残ることも珍しくなくなった。

「1年で自分だけの力で食えるようになる」、半年で竹田津はこれを実現した。

 そして年末。働き出してはじめての帰郷である。竹田津はこの帰郷に勝負を賭けていた。