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毎年、年の初めにやっているのだが、今年も恒例のこのサイトのログチェック1年分をやった。

まあ、ご訪問回数が一番多いのは、Googleのサーチボットなんだけどね。もう、ダントツ。そんなにうちのサイトが気になるのかねえ。おかげで、書いておいたことは、ほぼ間違いなくGoogleの1ページ目に掲載されるという、離れ技を演じている。っていうか、マイナーな項目しか書いてないんだけど。今年はメジャーな項目でも1ページ目を目指したいと思う。

学校関係で、ダントツにアクセスが多いのが、東京大学。どうも東大のクローラーに登録されているみたいで、しょっちゅうやってきている。続いて、筑波大、京都大。うちのログ見れば、大体、日本の有名どころの大学はきてる感じかな。そろそろ、複雑学系を学会にでも発表したろうかしらん。

官公庁関係では、気象庁、防衛庁、郵政省の順。衆議院もたまーに見てるみたい。

会社関係では、富士通、NEC、日立、東芝、NTTデータ、ユニシス、etc…。あらまあ、昔、仕事したとこばっかじゃん(笑)

まあ、そんなこんなで、今年も皆様、よろしくお願いします。

またまた最近、2chで祭りが起こってる。まあ、祭り自体は珍しくないんで見物しているだけなのだが、著作権について面白いやりとりがあった。

著作権というのは、もちろん著作権者の権利を守るための法律であるが、同時に情報の適正な流通を促進する法律でもある。これは特許が特許取得者の利益だけを保護しているのと大きな違いだ。

著作権法では、一度公開された情報は、著作権法の定める「引用」の範囲内で、誰でも自由に引用できる。これはわりとみんな誤解している点だ。情報の流通のためには、この「原則引用自由」の方が都合がいい。

でも、新聞社や出版社にしてみれば、こんなことされたんではおマンマの食い上げである。そのため、引用を制限するために、必ず「勝手に引用しては駄目ですよ」と書いてある。これは著作権者の財産権を守るための、自衛策である。

どうも、そのあたりが分かっていない人が多いような気がする。みなさんもご注意を。

なんか最近、4つぐらいのクローラーがうちを常時監視してる。うちみたいな過疎サイトみて何が楽しいんだろうねえ。

俺はリバタリアンなので極論すれば著作権の存在そのものを無用なものだと思っている。ただし、これは他人に強制することではないのも重々承知している。

最近興味深い事件がおきた。「最後のパレード・盗作疑惑」である。いや疑惑どころか完全に黒で出版社は早々に白旗上げているのだが、なぜか著者一人が「冤罪」を主張している。2chあたりでも大規模祭りになっているので、ちょくちょく見ていたのだがかなり痛々しい。

著作権ってのは「表現に対して」権利を認めるという法律であって、内容やアイディアなどは保護されない。本来重要なのはそちらだと思うが、「著作」(つまり表現)のように第三者がみて区別できるものでないと、裁判所も判決の下しようがない。正直いえば、今回の場合、インターネットからネタを取材し、そのストーリーをそのままいただいて、書き下ろしで書けば何の問題もなかった。そのあたりは出版社の担当編集が馬鹿だったというしかない。

このサイトにある「架空戦記GameDojo大戦(仮名)」も、ある種、その実験的な意味がある。幸いなことに、これを出版しようなんて酔狂な所はないのでまだ裁判は起こってないのだが、起こったら起こったでまたネタになると楽しみにしている。

今年の元旦にいくつかやることを決めたのだが、どうもいくつかはできずに終わりそうだ。今年できなかったことの最も心残りなのは、「恋愛小説を書く」ってこと。いや、もう書いているんだけど、どうも公表するほどの出来じゃない&いろいろ迷惑のかかる所が出そう、ってことでまだ未公開。まあ来年には公開できるかな。

夢と欲、求めるものは同じでその方法論が同じでも、どちらかというと好意的に取ってくれるのが夢、否定的なのが欲である。でも実現可能性は夢よりは欲の方が高いわな。まあ、イメージの問題は、結構多いんだよね。

今のお金は、金本位でも銀本位でもなく、いわば国家本位制という状態である。本来金や銀といった不朽の価値を持つものをその担保にお金の価値を保証していた。しかしドルショック以降、国家の信頼がその担保になった。

となれば国家の信頼が崩れればお金というシステムは崩壊する。金融なんてのはその中でも「何もうみださないのにお金の数字だけ増えたらそれでいい」という、考えて見ればこれほどアホなことはないことをやっているわけで、「おまえらみんなアホだ」って誰もいままで指摘しなかったのが不思議だ。いや、唯一、本宮ひろ志が逆説的に指摘していたけどな。

金融ってのは規模が小さいうちは役に立つが、現在のように規模が大きくなりすぎると、害ばかり多くなる。そろそろなくしてもいいんじゃね?

複雑学系にも金融論はある。しかしいままでその存在を公にしてこなかった。なぜかといえば、今の金融を潰さないとまあいってみれば正気に戻らないだろうし、そうなるとあまりいい気分ではないからね。

金融の根本は「利子」つまり「お金がお金を生む」事で成り立っている。しかし、資源は有限だ。お金を増やすということは、とりもなおさずお金の価値が減るということだ。つまりお金がお金を生めば、お金の価値は下がる。なんでこんな簡単なことさえ無視して金融「工学」なんて偉そうなこというのかね?

まあ続きはまた明日。

思いつき、ってのはおしなべて単なる組み合わせの短絡だと思う。別に普通は関係のないと思われるものを組み合わせてその中に意味を見出す。意味を見出したら思いつきになるだけの話である。

人間は論理的思考が好きだ。昨日挙げたフェルミ推定なんていうのも所詮論理的思考の一手法なのであって、いまさら取り立てていうまでもないと思う。というか一般に科学というものは「論理的思考をすること」を前提に考えられている。しかし時には非論理的思考が必要な場合もこれからは多くなってくるのではないか。

よくある誤解としては、「真偽値を入れ替えた思考が非論理的思考である」というもの。ちょっと考えれば分かるが、真偽値を入れ替えた所で論理的思考は論理的思考なのであって、非論理的思考ではない。非論理的思考というのは、「思考という全体集合内で、論理的思考の集合の補集合」なのであるから、かなりいろんな思考が含まれる。これにはある種の慣れというかトレーニングが必要なので、そのうち一例をまとめようかなとも思う。


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