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複雑学系にも金融論はある。しかしいままでその存在を公にしてこなかった。なぜかといえば、今の金融を潰さないとまあいってみれば正気に戻らないだろうし、そうなるとあまりいい気分ではないからね。

金融の根本は「利子」つまり「お金がお金を生む」事で成り立っている。しかし、資源は有限だ。お金を増やすということは、とりもなおさずお金の価値が減るということだ。つまりお金がお金を生めば、お金の価値は下がる。なんでこんな簡単なことさえ無視して金融「工学」なんて偉そうなこというのかね?

まあ続きはまた明日。

思いつき、ってのはおしなべて単なる組み合わせの短絡だと思う。別に普通は関係のないと思われるものを組み合わせてその中に意味を見出す。意味を見出したら思いつきになるだけの話である。

人間は論理的思考が好きだ。昨日挙げたフェルミ推定なんていうのも所詮論理的思考の一手法なのであって、いまさら取り立てていうまでもないと思う。というか一般に科学というものは「論理的思考をすること」を前提に考えられている。しかし時には非論理的思考が必要な場合もこれからは多くなってくるのではないか。

よくある誤解としては、「真偽値を入れ替えた思考が非論理的思考である」というもの。ちょっと考えれば分かるが、真偽値を入れ替えた所で論理的思考は論理的思考なのであって、非論理的思考ではない。非論理的思考というのは、「思考という全体集合内で、論理的思考の集合の補集合」なのであるから、かなりいろんな思考が含まれる。これにはある種の慣れというかトレーニングが必要なので、そのうち一例をまとめようかなとも思う。

ってそんなに珍しいか?って俺は普段からよく使ってるけど。なんでわざわざ「フェルミ推定」なんて名前付けたのか分からん。まあ、言いだしっぺの法則なのかね。

コンパイラ関係の本を探しに本屋にいったのだけど、全然置いていない。昔はもっと情報処理の本とか置いてあったのになあ。最近ではパソコン関連とかリファレンスとか、とにかく売れ筋の本しか置いていない。まあ、当然というべきなのだろうがなんか寂しい気がする。仕方ないんでアマゾンで注文。ポチっとな。

意識の問題を考えていると、どうしても自我の問題にぶつかる。昔は自我以外の存在を疑っていたのだが、最近では自我の存在さえ疑っている。「我思う、ゆえに我あり」といったのはデカルトだが、確かに「我思う」まではある。しかしだからといって「我あり」に短絡するのはどうかと思う。全ては主観の錯覚ではないのかと思う、今日このごろなのである。

意識とは何か。正直いって今まで考えてきた中で最大の問題である。人工知能の分野では「とりあえずチューリングテストパスしたら意識があるといっていいんじゃね」って楽観的なことをいっていた時期があるが、高度な人工無能が人工知能でないことは明白である。チューリングテストをパスしたからといって意識があるといっていい、なんてのはあまりに乱暴な話で、俺としてはそれに組する気はない。

となるとどうしても意識のハードプロブレムを解かなくてはいけない。しかし俺としては「クオリアとは主観的な錯覚」と思っているので、それを進めていくと「意識とは錯覚である」という結論に達したことがある。っていうかこれだと複雑学系的には割り切れてるのよ。複雑学系・基本理論3「現実にあるものはすべて非論理的」、つまり「意識というのものは現実にある、しかしそれは錯覚である」。こんな非論理的なことはないよね。正直言ってこれをどう解釈すべきなのか、結構考え込んでいる。

まあ、ここらへんからいろいろ推論を進めようというのはちょっといないから、どんな結論がでるか、しばし待て。

なんかbecome、いやに粘着してるのね。どーしてなんだろう。まあ最近はブログばっかりで新しいコンテンツ書いてないから、そろそろコンテンツ追加しないといけないんだけどなあ。

まあ、ウィークデーは真面目に仕事しているのであった。

思考とはなにか。つきつめて考えると、それは単なる「言葉遊び」にしか過ぎない。例えば数学者が考えているのは、「数学のルールに則った『言葉』を操作しているだけ」であって、数式というのは言葉の一種である。ぶっちゃけていっちゃえば、人間は脳の中で生み出した「概念=言葉」をこねくりまわしているに過ぎない。たまたま現実にあるものが、その言葉操作と合致したとき、それは「発見」といわれるのであって、別に真理の存在などということとは無縁である。大体、人間が認識できる事象はすべての事象のほんの一部分にしか過ぎないと考えられるわけで、人間の言葉遊びのほんの一部分である科学や数学で事象が説明しきれると考える方が誇大妄想であろう。イデアだのクオリアだのよく考え付くもんだ。

思考というのが言葉遊びであるならば、その最小セットとなる言葉の集合があるはずだ。どんな新規の発見でも、それまでに定義された言葉で説明できなければ、人間には理解不能である。記号着地問題は、その最小セットの言葉の集合を見つける作業なしには成り立たない。狼に育てられた赤ん坊は結局狼なのであって、それは生物学的に人間であっても、人間ではない。俺は別に生命の神秘には何も興味がないので、人工生命は他の方に任せる。とりあえずはAIもどきを作ってるだけである。

今日はメーカーのアクセスが多い。しかも結構大手のゲームメーカーが見にきてる。いや、うちにはゲームの類の記事はまだ書いてないんだけどさ。うーん、CarnageHeartPortableはやるつもりだけど、信長の野望・蒼天録やrogue(nethackか?)ぐらいだったら書いてもいいかもしれない。

ああ、それと以前働いていた所からも見にきてた。まあ別の部署だとは思うけどさ、ちょっと懐かしくなったのであった。

それとなんと「Naoko」に興味を持ってくれる人も現れ始めた。いやあ、うれしんだけど、ちょっと待て。まだサンプル公開するまでできてないのよ。時間なくてさ。


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