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思いつき、ってのはおしなべて単なる組み合わせの短絡だと思う。別に普通は関係のないと思われるものを組み合わせてその中に意味を見出す。意味を見出したら思いつきになるだけの話である。

人間は論理的思考が好きだ。昨日挙げたフェルミ推定なんていうのも所詮論理的思考の一手法なのであって、いまさら取り立てていうまでもないと思う。というか一般に科学というものは「論理的思考をすること」を前提に考えられている。しかし時には非論理的思考が必要な場合もこれからは多くなってくるのではないか。

よくある誤解としては、「真偽値を入れ替えた思考が非論理的思考である」というもの。ちょっと考えれば分かるが、真偽値を入れ替えた所で論理的思考は論理的思考なのであって、非論理的思考ではない。非論理的思考というのは、「思考という全体集合内で、論理的思考の集合の補集合」なのであるから、かなりいろんな思考が含まれる。これにはある種の慣れというかトレーニングが必要なので、そのうち一例をまとめようかなとも思う。

AIのサンプル書いて、言語に戻って足りない機能実装して、またサンプル書いて試して…。まあ、無限にも続くループなのだが、なかなか楽しい。ってか、まだ意識の実装のイメージができないのだが。まあサンプル書いてるうちになんか思いつくかもしれん。結局プログラムは動いてナンボだしね。

意識の問題を考えていると、どうしても自我の問題にぶつかる。昔は自我以外の存在を疑っていたのだが、最近では自我の存在さえ疑っている。「我思う、ゆえに我あり」といったのはデカルトだが、確かに「我思う」まではある。しかしだからといって「我あり」に短絡するのはどうかと思う。全ては主観の錯覚ではないのかと思う、今日このごろなのである。

意識とは何か。正直いって今まで考えてきた中で最大の問題である。人工知能の分野では「とりあえずチューリングテストパスしたら意識があるといっていいんじゃね」って楽観的なことをいっていた時期があるが、高度な人工無能が人工知能でないことは明白である。チューリングテストをパスしたからといって意識があるといっていい、なんてのはあまりに乱暴な話で、俺としてはそれに組する気はない。

となるとどうしても意識のハードプロブレムを解かなくてはいけない。しかし俺としては「クオリアとは主観的な錯覚」と思っているので、それを進めていくと「意識とは錯覚である」という結論に達したことがある。っていうかこれだと複雑学系的には割り切れてるのよ。複雑学系・基本理論3「現実にあるものはすべて非論理的」、つまり「意識というのものは現実にある、しかしそれは錯覚である」。こんな非論理的なことはないよね。正直言ってこれをどう解釈すべきなのか、結構考え込んでいる。

まあ、ここらへんからいろいろ推論を進めようというのはちょっといないから、どんな結論がでるか、しばし待て。

思考とはなにか。つきつめて考えると、それは単なる「言葉遊び」にしか過ぎない。例えば数学者が考えているのは、「数学のルールに則った『言葉』を操作しているだけ」であって、数式というのは言葉の一種である。ぶっちゃけていっちゃえば、人間は脳の中で生み出した「概念=言葉」をこねくりまわしているに過ぎない。たまたま現実にあるものが、その言葉操作と合致したとき、それは「発見」といわれるのであって、別に真理の存在などということとは無縁である。大体、人間が認識できる事象はすべての事象のほんの一部分にしか過ぎないと考えられるわけで、人間の言葉遊びのほんの一部分である科学や数学で事象が説明しきれると考える方が誇大妄想であろう。イデアだのクオリアだのよく考え付くもんだ。

思考というのが言葉遊びであるならば、その最小セットとなる言葉の集合があるはずだ。どんな新規の発見でも、それまでに定義された言葉で説明できなければ、人間には理解不能である。記号着地問題は、その最小セットの言葉の集合を見つける作業なしには成り立たない。狼に育てられた赤ん坊は結局狼なのであって、それは生物学的に人間であっても、人間ではない。俺は別に生命の神秘には何も興味がないので、人工生命は他の方に任せる。とりあえずはAIもどきを作ってるだけである。

今の時点でのAIのプロトタイプに実装する/しない機能を挙げておこう。

○実装するもの

・意識(まだ、実装を思いついてない…)

・記憶(これはイメージがほぼ固まってる。「忘れる」ことを実装する予定)

・思考(大雑把に言えば証明と推論のエンジン。主に論理的思考を司る。プロトタイプでは「閃き」とかは無視)

・本能(「常識」をハードコーディングしたもの。常識がないとフレーム問題にぶつかっちまうからね)

○付随して実装されるもの

・心(心とは人間だと脳の機能であるので、意識を実装したら付随して心が実装されるはず…かな)

・意思(意識があって思考・判断できるなら、意思も付随して実装されるであろう。まあ最初のうちは赤ん坊なんでこっちがAIの意思に沿わないことはあるけど。まあ教師なんてそんなもの)

○実装しないもの

・人格(人格ってのは意思決定時の重みづけのパーソナリティにしかすぎないのでプロトタイプでは実装しない。まあ、MAGIみたいに「学者」「女」「母親」なんて人格つけてみるお遊びはプロトタイプできてから)

・欲望(欲望ってのは本来不必要。プロトコル追加で対応可能にはするけど)

・魂(ああ、俺は魂無存在論者なんで、存在しないものは実装しようがない)

・才能(単なる属性でしょ?元々AIに関係ないじゃん)

まあ、今の所考えてるのはこんなとこかな。

俺の場合、ナルコレプシーなので意識が急に途切れることがある。どんなときに、っていうと、とんでもなくつまらないことをしているとき。その作業に何の意味も感じられないとき。そういったタイミングで意識がなくなる。

まだ「意識って何か」には答えはでていないのだが、ちょっとしたヒントにはなるかもしれない。

人間は一度に処理してる記憶なんて、たかが知れてるのじゃないだろうか。

元々、短期記憶と長期記憶の差もあるし、忘れるってことも頻繁に繰り返す。AIではなんで忘れるってことをもっと真剣に実装しないんだろうね。そりゃ関連する情報を際限なく引き出してたらフレーム問題にぶつかるに決まってる。人間は単位時間に処理するために、情報に重み付けを行って、ある閾値以下の評価のものは忘れてるような気がするのだが。なんかAIの論文読んでいると、こいつは理論だけで実装なんてしたことないんだろうなあ、ってのが分かってなかなか楽しい。

クオリアという問題があるといわれている。しかし個人的にはそんなものは存在しないと思っている。

例えば赤いものを見て「赤い感じがある」というのがクオリアだといわれている。しかし本当だろうか。もし、赤い感じというものが普遍的あるのなら色盲という問題は生まれない。色盲があるということは普遍的な「赤い感じ」が存在しないということだ。人間はパターン認識したものを記号着地させて、「言葉」として処理する。その際に主観的な錯覚としてクオリアなどという考えが生まれたのではないか。

この世にあるものはすべて不可知である。たまたま網膜にそのパターンが映っていると脳が認識しているからといって、その物体が本当にそこにあるかどうかなんて分かるわけがない。世の中には幻視という現象があるのも知らないのかね。クオリアを考えた根源にはイデアというものが存在しているという誤解がある。結局、イデアの存在は証明できない。よってクオリアも単なる錯覚である。


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