俺はセックスに幻想を抱いていない。抱いているのはリアルだけである。
「複雑系」という本の中に「なぜ、バングラデェシュの農村で爆発的に人口が増えるのか?」という問題が書いてあった。誰もが答えを出せない問題の例、として提示されていたのだが、こんな問題、常識で考えたら誰でもすぐ分かる。だって、バングラデシュの農村の一番の娯楽ってなんだと思う? そんなのセックス以外にない。日本みたいに他に娯楽が山ほどある国なら別だが、金もない、他に娯楽が全然ないのなら、セックスぐらいしかすることがない。まあ、ありゃ、気持ちいいし、時間もつぶせる。電気つけてなくて、暗くてもできる。で、避妊もせずにセックスすれば子供ができる。よって人口が爆発的に増える。どうも学者ってのは、自分の専門分野には詳しいらしいが、基本的な一般常識に欠けている。こんなのが、最先端の学術分野だっていうのだから、あまりの底の浅さに笑いをこらえることができない。
人類にとって、セックスってのは一大テーマである。恋愛、ってのも、結局はいかにセックスに持ち込むか、をオブラートで包んだものにすぎない。まあ、肉体が出来上がっていない、あまりに若いうちにセックスを覚えてしまうと、後々面倒なので、いろいろ理屈をつけて、そこから目を逸らそうとする。でも、結局はそんなことは、無駄なことである。いかに恋愛という形而上の概念をもってこようとも、やってることは動物としての基本的な本能行為、つまり形而下のできごとなので、一度やってしまえば、なんだ、こんなことか、ということになる。まあ、それからそれに惑溺するかどうかは、単に趣味の問題である。
まあ、商売としてみた場合、これぐらい効率のいい商売もない。だって、本来、無料でもいいものに、大枚はたいてもいい、って馬鹿がいる限り、不滅であり、人類最古の職業である。まったく、タイガー・ウッズも、馬鹿を世間に晒してるもんで、まあ、自分の稼いだ金を、いかに使おうが本人の勝手ではあるが、一晩百万の女ってなに? あぶく銭を稼いでいるのかもしれないが、金の価値を知らないヤツである。まあ、タイガーに限らず、風俗産業だの援助交際だの、日本でもその手の馬鹿は枚挙に暇がない。いや、別に俺もその馬鹿のひとりなんだけどさ。
結婚という契約も、結局は、セックスの換金化を合法的にしたものにすぎない。まあ、普通の人は、結婚という行為を神聖なものに考えているようだが、別にこれは社会の発達段階において、子供の扶養義務を明確にする必要に迫られて生まれたものである。別に、それ以外に合理的意味はない。
セックスというのは、コミュニケーションの手段としては、非常に有効なものである。結局、その人の本性というか奥の顔は、寝てみないと分からない。というか、一回や二回寝たとこでわかるわけでもないんだけどさ。まあ、寝た、という事実が心的化学反応を起こして、惚れたという感情に変化することもある。惚れてしまえば、惚れた弱みっていうのがあるので、いろいろ面白いことになるわけだけど。
処女性、っていうのを大事に考える男もいる。大薮春彦や光源氏なんかがそうだが、まあ、これは一種の信仰であって、別にそうじゃないから、とかいって責めるのはお門違いである。大体、いい女は、世間がほっとかない。最初の男、になれるかどうかの問題は、単に運やめぐりあわせの問題であって、そんなに重要なことでもなかろう。それよりも、貞操性、をもっと問題に思ったほうがいい。俺なんか、女が浮気した、としたら、それは女が悪いというより、他の男に目がいくようにしてしまった、自分の甲斐性のなさが原因だと思うタイプである。当然、俺も女に惚れたら、他の女を抱く気にはなれない。っていうか、目がいかなくならないかい? 浮気性の男、ってのは、相手を真剣に見ていない、ってことを公言しているようなもので、まったく馬鹿丸出しである。
俺は、基本的に禁欲的な男であるとは思うが、ことセックスにおいては十分に享楽的である。大体、快楽っていうのは、普段は抑圧されてるからこそ、そこから開放されたことによって、数倍の効果を得ることができる。真のエピキュリアンってのは、そういうものである。えっ、俺が享楽的な人間とは思えない、って? そんなの、一回、俺の彼女になってみれば、十分に分かることである。