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奥義

武道には奥義と呼ばれる類の技がある。

これらの多くは口伝とか一子相伝とかいわれており、武道なり芸術なりある一定のレベルからは感性がモノをいう世界では、個人の到達した境地はあくまでその個人のものであって、それは容易に他者に伝達することが難しい。そのため、奥義を伝承することは基本的に不可能だ...と思われている。

それに奥義のもつ絶対性も問題となる。奥義というのは、それが発動したら理も非もなく勝負が決してしまうもので、もしそうでないものは奥義ではない。以前あるバカが「武道とは流れである」とかわかったようなことを抜かしていたが、奥義が発動すれば流れもクソもない。それで終わりなのだ。もし公衆の面前で公開しても、観衆もかけられたほうも何が起こったのかさえ理解不能なモノ、それが奥義だ。

架空戦記「GameDojo大戦」(仮名)では、奥義の類がいくつか発動している。その解説までていねいに行ったが、まあほとんど理解不能だろうし、まねしろといっても誰もまねできないだろう。だから安心して公開した。ただし、奥義というのは摩訶不思議なものではなくて、ちゃんと物理的な基礎理論があって成立している。いわれれば小学生だって理解可能な、極めて平易で算数程度の理屈でわかるものだ。もしそれが理解できないというのなら、それは本当に小学生レベルの理解力もないか、「技とは複雑玄妙なものである」という先入観が強すぎる場合だろう。まあ、理屈がわかったとしてもそれができるかどうかはまた別の話であるが。

宮本武蔵の技は相伝不能といわれた。それは武蔵の技があまりに卓絶していたからではなくて、あまりに単純平明すぎて、常人ではその鍛錬に必要な、ある意味退屈さに耐えられないからだろう。誰だって地味な基礎練習よりもちょっとした技巧を覚えたがる。しかし、本当の技と言うのは基本の中にある。剣が相手の倍速ければ、どんな小手先の技巧も意味がない。奥義というのはそんなものなのである。

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作成:2011-2-16 20:21:05
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