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宗教よ、さらば

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俺は、無宗教、無神論者だ。

こういう話を外国の人にすると妙な顔をされることがある。今でこそ少なくなったものの、昔は露骨に嫌な顔をされたこともある。外国の人、特にキリスト教信者の方は「神を信じてなくて何を信じているのですか」と。つまり無宗教の人は、人としての規範がない人間と思われているのだろう。しかし残念ながら、こっちとしてはそんな鰯の頭を信じていなくても、自分の中に確たる規範がある。それは「自分自身で自分を律する」という、かなり難しい道なのだけど。

最近、某与党の幹事長が、宗教関係の発言をしている。しかもこれが海外メディアに派手に報道されている。政治家たるもの、宗教関係、しかも海外の宗教に関連する発言は、最もナイーブな問題であって、センシティブであるべきだ。なのに、能天気に自分の主張を開陳している。まったくこれが角栄の秘蔵っ子っていうんだから、日本の政治家の質なんて推して知るべし、である。

宗教の問題は、俺としてもかなり長い時間をかけて考えてきた問題である。というより、人類が長い時間をかけて考えてきた問題だろう。今でさえ、宗教観の違いによる紛争や戦争が絶えない。21世紀を迎えた現在、最も大きな問題は、宗教が残ってしまっている、ということだ。

はっきりいって宗教なんて、すべての例外なく、無職者(宗教者)が信者に金や食い物をタカるための組織である。宗教の開祖を考えてみたらいい。ほとんどが、無職、もっといえば乞食である。乞食が他人から食い物をせしめるために考え出したのが宗教なのであるから、当然といえば当然である。

もちろん人もそんなに馬鹿ではないから、胡散臭いものには騙されない。そのため、騙すほうとしては、巧緻な理論構成や地獄があるよ、と恐怖心を煽って、なんとか信じ込ませようとする。でも、考えてみるといい。どんなに論理的に緻密に構成されている教義であろうと、その核である「神は存在するのか?」「輪廻は存在するのか?」という重要な点については、言を左右にするだけだ。そんなものは論理的に証明不能なのだから。

つまり、どんなに教義が完璧に見えようが、そんなものはよくできたSFやファンタジーとなんら変わりがない。今まで人類は、単なる作り話に散々悩まされてきたし、乞食のたわごとに今まで付き合ってきた。でも、そろそろ終わりにしないか?

宗教よ、さらば。俺が今、一番言いたいことである。

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作成:2019-12-20 21:38:03   更新:2019-12-20 21:43:30
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