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TOP  >  Wiki  >  武士道 のバックアップ差分(No.3)
2: 2011-02-10 (木) 17:46:44 taked2 ソース 3: 2011-02-11 (金) 04:39:43 taked2 ソース
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** 武士の発生 [#o2066ff2] ** 武士の発生 [#o2066ff2]
日本の武士ってのは鎌倉時代前後で出現したわけだが、その実態ってのは戦士というより自作農場主であった。平安時代の土地所有ってのは、表向きは公地公民であったが、実際には公家や寺社の荘園であったわけで、それを借りて農作してたのが武士の原型である。そのうち、自分たちで新たに土地を開墾するのだけど、荘園になってないといろいろ面倒なことになるので、名目的に名義を貸してもらっていたわけだ。しかし、もうだんだんバカバカしくなってきて、自分の土地は自分の所有でいいじゃん、という気分が高まってきた。そんな武士の気分に乗って成立したのが鎌倉幕府である。源頼朝ってのは最初のうち、ほとんど再起不能の敗戦を何度かするのだが、それでも鎌倉武士が頼朝を支え続けたのは、自分の土地を自分の所有にしたい、という武士の悲願に支えられたからである。一生懸命、って言葉があるが、本当は、一所懸命、が正しい。(自分が開墾した)一所(ひとところ)を懸命に守る、まあ、一生かけて懸命でもいいんだけどね。 日本の武士ってのは鎌倉時代前後で出現したわけだが、その実態ってのは戦士というより自作農場主であった。平安時代の土地所有ってのは、表向きは公地公民であったが、実際には公家や寺社の荘園であったわけで、それを借りて農作してたのが武士の原型である。そのうち、自分たちで新たに土地を開墾するのだけど、荘園になってないといろいろ面倒なことになるので、名目的に名義を貸してもらっていたわけだ。しかし、もうだんだんバカバカしくなってきて、自分の土地は自分の所有でいいじゃん、という気分が高まってきた。そんな武士の気分に乗って成立したのが鎌倉幕府である。源頼朝ってのは最初のうち、ほとんど再起不能の敗戦を何度かするのだが、それでも鎌倉武士が頼朝を支え続けたのは、自分の土地を自分の所有にしたい、という武士の悲願に支えられたからである。一生懸命、って言葉があるが、本当は、一所懸命、が正しい。(自分が開墾した)一所(ひとところ)を懸命に守る、まあ、一生かけて懸命でもいいんだけどね。
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-** 武士と農家の分離 [#f21afa2a] 
で、それからずっと政治の実権は公家から武家に移ったわけだけれども、幕府ってのはその大きな機能に、土地の所有調停ってのがあった。まあ、武家の幕府成立の道理からいっても当たり前で、今も昔も土地を巡る争いってのはかなり激しい。親子間、兄弟間でそれこそ骨肉の争いになるわけで、幕府のような公平な機関がないと困ることになるわけだ。まあ、それも武士が実際は農場主であった証拠である。 で、それからずっと政治の実権は公家から武家に移ったわけだけれども、幕府ってのはその大きな機能に、土地の所有調停ってのがあった。まあ、武家の幕府成立の道理からいっても当たり前で、今も昔も土地を巡る争いってのはかなり激しい。親子間、兄弟間でそれこそ骨肉の争いになるわけで、幕府のような公平な機関がないと困ることになるわけだ。まあ、それも武士が実際は農場主であった証拠である。


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