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一人前

 竹田津恩(19才)は、この春、高校を卒業して、プログラマーとして社会人の一歩を踏み出したばかりの青年である。仕事を始めた当初は、今まで自分が準備してきたことが、本当に社会で通用するのか不安であったが、どうやらそれも杞憂に終わった。最初、地元の会社に就職して出向していたのだが、出向先の会社が「直接、うちの社員にならないか」と3ヶ月で言ってきた。ヘッドハンティング、なのであるが、高校を卒業して3ヶ月のド新人をヘッドハンティングするなんてのは極めて異例である。その証拠に、同じ会社から出向して2年になる先輩社員達でさえ、誰一人として引き抜かれたことはない。それだけ「特別扱いされた」という事である。また、出向先の会社で、形だけとはいえ、入社して即、肩書きがつく例もない。竹田津は断る理由がないので、「はい、お受けします」と了承したのだが、いきなり「主任」になった。社会人であれば、肩書きがつくということが、どれほど大変な事かは、よく分かるだろう。すると、出向していた会社から電話がかかってきた。「お、お前...」、絶句している様子が手に取るように分かる。竹田津は「はい、なんでしょう?」と答えた。だって、バス停にあった「東京でプログラマーになりませんか」というチラシを見て飛び込みでやってきた高卒を、単に東京に送っただけである。後で分かったのだが、出向先から、月60万円をもらっていたらしい。その間、竹田津の給料は12万円程度。月に丸々48万円利益を上げていた計算になる。何もしないで。そら、出向先でも直接社員にした方がいいに決まってる。今までの先輩社員達は、その60万円のコストをかけても、自社の社員にする必要がない、と出向していた会社は判断していたのだろう。それだけに、そこにヘッドハンティングされたということは、名誉なことでもあった。
 
 そして、年末、竹田津ははじめて帰郷した。もちろん、これで直子に告白できる、という思いもあったが、それ以上に、自分が男として、まあ、一人前と呼べる存在になったことがうれしかった。それを、学校の先生にも知ってもらいたい。竹田津は、飛行機で松山に着いてすぐに、母校の東高へ行った。そこで3年生の時の担任と面会する。当然、半年前のことだから、担任もよく覚えてる。なにしろ、劣等生中の劣等生のくせに、「東高のカンバンも要らない」と言って卒業した生徒なのである。そんな例はホトンドないだろう。「東高のカンバン」というのは、松山では「県立伊予東高出身」というのは黄金ブランドなのである。なぜなら、松山という狭い地方において、多くの企業や官公庁の幹部というのは「東高出身者」が多い。だから「一学年600人中595人まで進学志望」の高校であるが、残りの5人の就職志望者は、そのブランド力を大いに利用する。地方銀行、地方気象庁、地方テレビ局、そういった会社や官公庁であれば「東高出身なのに、大学に行けないのは、余程の事情があったのだろう」と学校推薦で入社枠を設けている。まあ、ほとんどは劣等生なのだが、竹田津のように「本当に余程の事情」があった例もある。だから高校で進路相談の時、担任は、まず会社や官公庁のリストを渡して「どこに行きたいか?」と尋ねて来た。竹田津は最初ナンのことか分からなかったのだが、ああ、そういうことか、納得した。「いえ、どこも興味ありません。自分の就職先は自分で見つけますから」。半年以上前の話である。
 その生徒が、たった半年でビシッと背広を着て現れたのである。担任もビックリする。そして竹田津は「今、某電機会社の制御系プログラマーをしてるんですよ」というと、担任は腰を抜かさんばかりに驚いた。だって、その会社は日本人なら誰でも知っている、超有名企業である。そこで直請の仕事をしている会社で、今までプログラムなんて1分たりとも教わらなかった高卒が、いきなり行って、しかも「主任」になっている。多分、高校教師ぐらいの理解力では理解を超えたことだったのだろう。東高とはいえ。
「では、失礼します」、この時、竹田津は「東高に勝ったぜ」と思った(子供だねえw)。普通の人なら、東高へ行って、いい大学行って、いい会社に就職して。そう、考える。または「東高のカンバン」で安易な、しかし一生飼い殺しの人生を送る。しかし、竹田津は自分の力でそれを正面から突破したのである。しかも、進学組より人生の時計を一気に4年間縮めた。若い時、特に10代から20代に差し掛かる時期に、同じ年代の人間より4年間もリードがある、というのは圧倒的に大きい。まあ、自発的な飛び級、といってもいいかもしれない。
 別に竹田津は東高で「劣等生」でも全然構わなかった。まあ、英語ができないから、英語で論文を書く大学には、行く意味が無い。竹田津が大学に行かなかったのは、それだけの理由である。だって、行こうと思ったら奨学金が出る。実際、竹田津は高校の間、奨学金を貰っていた。なぜかというと「成績優秀であっても何もおかしくない」から。東高で成績優秀者というのは、まあ、いってみれば600人中上位100番以内ということである。多分、入学時の席次がそれぐらいだったのだろう。でも別に、そんなモノには興味がなかったから、学校の勉強はしなかったに過ぎない。でなかったら、堂々とやってた街中のスーパーでのバイトを黙認したり、なんてことは起こらない。まあ、そんな事もあるのが、東高の東高たる由縁である。まあ、担任教師も驚いたのだろうけど、「まあ、アイツなら、それぐらいやっても、何の不思議もない」か「そのうち、世間の厳しさを身をもって知るだろう」のどちらかを予想していただろう。残念ながら、竹田津は後者になる気は全然なかった。それだけの話である。
 
 つぎに竹田津は、その足で中学の担任に会いに行った。三年間担任だった美島は音楽教師で、竹田津の事をよく覚えていた。というより、忘れようといっても忘れられる生徒ではなかっただろう。だって、イタズラも一番最初に先頭きってやる。「竹田津、ちょっと音楽教官室に来い!」、呼び出されたのも、2度や3度ではない。時に竹田津はイタズラで、友達にちょとしたケガ(といっても絆創膏程度)をさせてしまった。当然、美島から呼び出しがある。「こいつは、殴られるか、よくてビンタだな」と思ったので、仕方ないので眼鏡を外して美島の前に立った。美島は「お前、なんで眼鏡外しとんのぞ?」と聞く。「えっ、だってビンタでしょ?」、これにはさすがの美島も吹き出した。「もういい、帰って」。音楽教官室のドアを閉めても、まだ、美島の笑い声が聞こえていた。
 そういう生徒が一人前になって、自分の所に挨拶しに来てくれたのである。喜ばないハズがない。その日は土曜日だったので、午後からは中学も休みである。音楽教官室で、今、やってることや、昔話をかなり話し込んだ。
 その時、美島はいきなりこんな事を言った。「あっ、そうそう、そういえば、この間、月島と田中がデートしてた、って誰かから聞いたぞ」、竹田津は、内心、ドキッ、とした。田中、というのは、もちろん、田中直子である。そして、月島というのは、これも竹田津のクラスメートだった男である。月島というのは、ハッキリ言えば、かなり優秀な男である。数学こそ、竹田津あたりとは勝負にはならないが、他の教科では平均して上位にいる。しかも、幼い頃に父親を亡くし、母親だけで育てられてきた、という苦労人でもある。「将来は医者になりたい」というのが夢だったハズで、見事、この春、国立の医大に入学した。でも、月島も直子が好きだった、なんて話は聞いたことがなかった。だって、月島には彼女がいたのだから。
 竹田津は、内心の動揺を隠しつつ、「へ~、そうなんですか。月島もやるなあ、そりゃ、田中ってカワイイですもんね」と美島に言った。美島はその時、内心で、ふふふ、と思っていたに違いない。だって、竹田津が直子を好きだ、なんて事は、クラスの人間なら、誰でも知っていることだからだ。竹田津本人はバレてない、と思っていても、子供のやる事なんて、他から見ればバレバレである。特に三年間も、竹田津と直子の担任をしている美島であれば、そのことに気がつかないハズがない。多分、美島は「さて、これからどうする? 一人前の男になったのなら、やることやれよ」というエールを竹田津におくったのだろう。まったく、粋な担任である。伊達に音楽教師をやっているわけではない。
 
 そんな、担任たちの挨拶を済ませた後、竹田津は、家に戻った。飛行機が着いてから、もう4時間以上経っている。でも、別に家はいつ帰ってもいいけど、学校の担任に会えるのは、その時だけである。だから、そちらを優先した。そして、家に着いた。
 
 「ただいま」
 
 いきなり、母親が玄関で言った。
 
 「あんた、なん、しとったん?」

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作成:2011-3-9 22:49:19   更新:2013-10-28 20:02:21
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