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裏切り

「あんた、なん、しとったん?」

 母親はやや不機嫌そうに竹田津に聞いた。責めているようでもある。でも竹田津は意外だった。だって息子が家にいつ帰っても、そんなのは息子の勝手である。大体、もう一人前の社会人であるのだから。しかも、時間は午後六時前もいいところ、責められる理由はどこにもない。
 
「何? 久しぶりに松山帰ったから、高校と中学の先生に挨拶にいっとたんよ。社会人になって初めての帰郷なんじゃから、当たり前じゃろ?」

 母親は責める理由がなくなって、「ほやけど....」と小声になった。そのとき同じく帰郷している姉がこんな事を言った。
 
「あんたに会わせたい人がおって、ずっと、待ってもろとったんよ」

 そんな事は初耳である。だって、そういうことなら、今日帰郷すると伝えてあるのだから、電話で「じゃあ、すぐに家に帰って。会わせたい人がおるから」、そういえばいいだけの事である。竹田津はなんか嫌な予感がした。
 
「まあ、ええわ、疲れたじゃろ、お風呂でも入る?」

 母親はちょっと気を取り直したのか、それとも時間が欲しかったのか、そんな事を言った。竹田津も断る理由がないから「じゃあ、風呂に入るわ」といって、荷物を半年前までいた部屋に置いて風呂に入った。
 
「会わせたい人、って誰じゃろ?」

 竹田津は、まあ、カンの鈍い方でもなかったから、「多分、再婚でもしたいのか?」と思った。その時、母親は43才、十分に再婚できる年令である。それであれば竹田津に何の異論もない。だって母親の人生は母親が決めればいいのだから。竹田津も社会人になって独り立ちしたのである。母親も親父を亡くして、それから苦労した。今では、松山にあるデパートの婦人服売り場のチーフである。たった3~4年でチーフになるというのは、やっぱり頑張ったからだろう。その母親が再婚するのであれば、息子としては喜んで賛成する気だった。でも...
 
「もし、そういうことなら、やっぱり、『はよ、帰ってこい』っていえばええだけやん。なんじゃろ?」

 竹田津は先程の嫌な予感が的中しないことを祈った。
 
 風呂から出て、夕飯である。その時にも「再婚」とかいった話は、まったく出なかった。そして飯が終わった後、母親が「あんたに話したいことがある」と言ってきた。
 
「何?」
「実は、私、ある人の世話になっとるんよ」

 世話? 竹田津はやはり嫌な方の予感が的中したと思った。
 
「世話、っちゅう事は、簡単にいえば、二号やっとる、ということか?」
「そうよ」

 母親は傲然と言い放った。竹田津は目の前が真っ暗になる思いだった。俺が、高校で別にアルバイト三昧の生活を送ったり、不利を承知で高卒で働き出したのは、母親に妾になってもらうためじゃない。母親や姉が、これからお天道様の下で真っ当に生きていくには、長男の俺が泥を被るしかない、そう思ったからだった。
 
「どういうことや、それ」
「だって、権藤さんは、ようしてるれるのよ。毎月10万もくれるんよ」

 竹田津は母親の顔が、今まで自分の知っている母親とは違う人間に見えてきた。金? 金が欲しいんなら、働くしかないじゃないか。そんなことは、当たり前だろ?
 
「金、て、そんなに困っとったんか?」
「イヤ、お金には今のところ困ってないんよ。だって、お父さんの保険金があるけん」

 保険金? それもはじめて耳にする言葉だった。俺が親類に頭下げて三千万の借金を棒引きさせた間、母親は泣いているばかりで何もしなかった。もし、あの三千万の借金が残っていたら、母親には1500万、俺と姉には750万ずつの負債があることになる。高校出たてで750万円の借金があれば、ほとんど人生、終っているのも同じことである。俺はそれが嫌だし、みんなを助けるためにも、高校生とはいえ、できる限りのことをした。なのに...
 
「お父さんは、私を受け取り人で1000万の保険に入っとってくれたんよ。まあ、あの時はあんたは高校生じゃけん、言うこともなかろうと思うて、今まで黙っとたんよ」

 竹田津はあまりの事に悲しくなる思いだった。なんで、それを、言わんのか! なんで、そんな大切なことを「高校生じゃけん」で片付けたのか!あんたは、あのヤクザが来たときに「あんたとその嬢ちゃんは風俗で働いてもらおうか」っていわれたんやぞ? 俺がその時、「テープレコーダー持っとるけん」と嘘までついて追い払ったん、なんでやと思う?
 確かに「保険金」というのは受取人が死亡者と別であれば、相続の対象とはならない。丸々、受取人のモノである。でも...
 
「まあ、権藤さんいうのは、お父さんが昔、お金借りとった人なんよ。それで、あんたが東京行ってしもてから、うちに来て、『お父さん死んだん知らんかったわ。借金が300万あるけん、払ろてや』いうてきたん。そら、300万円ぐらいやったら払えるけど、別にもう全部遺産放棄したんやから払う必要なかろ? それに保険金は誰にもいうてなかったから、誰も知らんし」
「で、その男が、妾になれ、いうたんか」
「あんた、それが母親にいう言葉か!」

 それをいうなら、「それが長男にいう言葉か!」である。竹田津は、今まで、とにかく真っ当に生きていこうとした。それは、守るべき家族、母親、姉がいるからである。なのに、当の本人は、真っ当も何もない。金、なのだ....
 
「そうよ、あんた、言い方が悪いわ」

 姉がそこでクチバシを突っ込んできた。自分は昔からやってきたピアノの勉強したい、といって今、東京の音大の3年生である。うちみたいな貧乏人の家が「やりたいけん」いうことで、親父は無理をしてグランドピアノを2台も買った。今から、30年以上前の話である。グランドピアノなんて金持ちが道楽で持っているモノ、という時代である。
 昔から竹田津は姉には、なるべく逆らわないで、言いたいことを言わせてきた。というのは、所詮、お嬢ちゃんだからである。親父は昔、竹田津に「俺は、嫁の選び方と娘の育て方、間違えたわ」と漏らしたことがある。その時、竹田津は自分が入ってないのでホッとしていたのだが、そういうことだったのか....
 
「もう、ええわ。俺は今日は疲れたけん、寝るわ」

 竹田津は、一度にあまりに悲惨なことが自分の家で行われたことにショックを覚えていた。でも、まだ担任への挨拶という時間的なクッションを置いただけマシだった。母親達はイキナリその旦那とやらに会わせて、うやむやのうちに事を運ぼうと思っていたのだろう。しかし偶然ではあるがスグに家に帰らなかったため、その目論見は外れることとなった。でも、そこまで騙し討ちのようなキタナイ真似をしないと、自分のやっていることを正当化できないと分かっているのなら、最初からそんなことをやらなければいい。それも実の長男に。竹田津は本当に悲しくなった。「ここには、俺の家族は一人もいない...」
 
 でも、それは始まりにしか過ぎなかった。

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作成:2011-3-10 2:18:31   更新:2011-3-16 16:21:11
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